ファウストの時間 ② 【雪の降る季節】

 もしも、心地良いのなら――

本棚に新調したばかりの綺麗なはたきを掛けていく。十年物の埃ははたく度に辺りに飛び散り、私を咳き込ませてようとする。流石に煙い。そう思い、向かい側の窓を開けて換気を促す。だいたい半分程度をはたき終わる頃には、既に時計は十二時を指していた。そろそろ食事の時間だ。
 キリの良い所で掃除を終わらせると、私は書斎を出て一度自分の部屋に戻る。メイドが着るような家事清掃用のロングドレスを脱いでクローゼットに仕舞う。着替えるのは別に体裁を気にしているわけではない。そもそもメイドの数で気品を決めるような、そんな競争に興味はない。人なんて雇わなくてもこの屋敷の家事は私だけで十分間に合う。このメイド服は単に、彼女の趣味だ。
「……ちょっと太ったかな。胸についてくれたほうが嬉しいんだけどなぁ」
 姿見で自分の裸体をマジマジと見つめる。あまり人間を喜ばせそうにない貧相な胸が目につく。乳頭は薄っすらと桃色に染まってはいるが、それだけで彼女、スフィアを振り向かせられるかと言ったら、答えはノーだ。
「ボクもお姉ちゃんに似てればよかったんだけどなぁ、はぁ」
 腹部に乗った微量の脂身をつまみながら、深くため息を付く。スフィアはあの人の現身であるかのようにそっくりに成長した。今では胸やお腹にあんなにお肉が付いて、とてもエロティックな身体をしている。対してボクは、身体的特徴ではお姉ちゃんには似ていない。自慢できると言えばこのぷっくりと膨らんだパンパンの太ももとふくらはぎぐらいだ。彼女がこれに興味をいだいてくれるとは思えないが。
いつもの紫色の燕尾服を羽織り、胸部の紐を結んでしっかりと着こなす。やっぱり私にはこの衣装が一番似合う。鏡に映る自身の姿に見惚れながら、最後に赤い羽根のシルクハットを被って部屋を出ていった。

「じゃじゃーん! どう! 早起きして作ってみたのよ!」
 青いエプロン姿の彼女、スフィアはそう言ってテーブルの上に並べられた料理を、まるで褒めて欲しいかのように、ボクに見せびらかす。カリカリの飴色に焼かれたベーコンと、ぷっくりとした黄色に膨らんだ綺麗な目玉焼き、それと透明なガラス瓶に入った真っ白な牛乳。
「へぇ、頑張ったじゃん。見た目は悪くないよ」
「でしょでしょ! きっと美味しいわよー」
 そう言って彼女は無邪気な笑顔をこちらに向けてくる。いつまでたっても子供っぽいところは抜けないものだ。子供を育てる母親はこういった気分なのだろうか。まだそんな歳になった覚えはないのだけれど。
「じゃあ、どれどれ一つ、いっただきまーす」
 籠の中に置いてあった銀のフォークで、端の方にあった小さなベーコンをすくい上げる。口の中に放り込んで、何度も噛み締めてその味を確認する。昨日作ったそら豆のワイン煮の甘さが口の中に広がって――
「スフィア、これソースじゃないよ」
「――あっ」
 私は即座に調理場の隣にある食品冷蔵室へと走り、彼女の調理に使われた食材を確認する。期限切れの卵の殻、これは多分さっきの目玉焼きに使われたものだ。牛乳のほうは、よく見ると全部チーズになっている。
「スフィアぁ……」
「あぅぅ、ごめんなさい」
 彼女はしゅんっと肩を落として顔をうつむかせてしまう。よっぽど自身があったのだろう。実際見た目はよく出来てる。ベーコンだって好きな人間はいるかもしれない。他の二つは……やっぱりダメだ。
「……まぁ、気を落とさないでよ。料理だったらボクが作ってあげるってば」
「でも、私、作ってもらってばっかりで……」
「……そっかぁ、女の子って、だれでもこう言う考え方しちゃうもんなんだなぁ」
「……えっ?」
「ボクも、昔はこんなもんだったから、ね」

続く?

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